2009年7月31日金曜日
幻影
枚方大橋の一本西側「柱本大橋」から眺めた大阪市内の
様子、比較的高い建物が遠くに見える。
淀川は電車が開通するまでの間、交通の要として
京となにわを結ぶ水運が栄えていた。
しかし、鉄道の発達とともにその役目は次第に終わりを告げた。
鉄道唱歌55番
淀の川舟さをさして (よどのかわぶねさをさして)
くだりし旅はむかしにて (くだりしたびはむかしにて)
またたくひまに今はゆく (またたくひまにいまはゆく)
煙たえせぬ陸の道 (けむりたえせぬくがのみち)
東海道本線全通 1889(明治23)年、新橋から神戸までの東海道本線が全線開通した。
淀川を外輪船が走っていたことを知る人は少ない。
高槻のある旧家で、わたしは外輪船の写真を見せてもらった。
まるでSL機関車のようにモクモクと黒煙を吐き出しながら
河を上ってゆく写真に目を奪われた。
昭和のはじめの写真で、それは写真フィルム以前の「ガラス乾板」
で撮られた写真だった。
*ガラス乾板/光に感光する銀塩の乳剤を透明のガラス板に塗布したもの。
この大正始め生まれの作者は、趣味で写真をしていた訳ですが
当時の写真としては珍しく、農村風景・外輪船・商店街など
ごく日常の風景を写真に収めていました。
時代を経て見る私たちには、一時代前のごく普通の風景なのに
記録としての大きな価値を認めざるを得ませんでした。
目を向けよう、いま目の前にある「日常の世界」
美しい写真は世の中に何百、何千とあります。
それらが真に美しいと思わせるのは、
文化や時代が複雑に絡みあっているからだと思います。
何が記録されてきたか、いつどこで撮られたか歴史は写真作品の
重要性を測る大切な要素でもあると思う。▼・エ・▼
いま、大阪から京都までJR新快速で30分。流れを遡る「外輪船」は
想像ではあるが4時間あまりの時間を費やしたかもしれない。
大阪でもあちらこちらで、水辺の再開発が行われている。
大阪の道頓堀あたりから、新淀川〜桂川〜鴨川を経由して京都まで
船の旅ができないものだろうか?要所要所に船着き場などをつくり水辺の
茶屋でくつろげるなんて風流だと思うのだが…。
▼・エ・▼
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4 件のコメント:
外輪船が使われていたとは・・・
そういう歴史ある写真というものを見てみたいです。
戦争とかは目を反らしてしますのですが。。。
きっと美しい日本の風景というか歴史が刻まれている写真なのでしょうね。
あちらに見える新しい橋は
仁和寺大橋(100円橋)ですねー。
地元なんで、この風景はお馴染みなんですが。こんな船が過去に通ってたのは全く知らなかったですねー。
いわちゃん◆
徳島は、写真家の立木兄弟の出身地。家業が写真館をしていたというから相当古い写真が展示しているかもです。
以前に見た軽井沢の写真館も相当歴史があるらしくて店のウィンドゥには軽井沢に来た有名人の写真がディスプレィされてました。
庶民がメシを喰うのに必死になっていた時代に趣味でカメラいじりしていたなんて一部の人にしか出来なかったごとですよね。田んぼに水を入れるのに足で水車をまわしている写真などもありました。
はやひでさん◆
外輪船撮られたのが、枚方大橋あたりらしいですよ。当時の淀川は大雨が降ると、すぐ氾濫していたみたいです。
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