大阪の北摂を通る街道がある。西国街道(さいごくかいどう)。
江戸時代の山陽道をこう呼んでいた。(京都から下関)
大阪と京都の境に位置する「山崎」に行ってきました。
JR山崎駅はホームの中ほどに大阪と京都の県境が通っている。
山崎駅周辺を見ただけですが、なかなかの「歴史街道」であった。
山崎駅を出て100mほどで西国街道に出る。右手にあるのが
離宮八幡宮。八幡宮は油の神様として有名。境内には油祖像と
油脂販売業者の店頭表示の看板があった。
黄色い丸の中に黒い丸、目立って実に解りやすい。
灯明用の荏胡麻油(えごまあぶら)の生産は中世になると全国に広まって、
生産者たちは離宮八幡宮を本所として油座を組織し、全国の油専売権を握り、
販売を独占したため大いに栄えた。油祖像は斉藤道三であると聞いている。
道三は京の西の外れ大山崎から長岡辺りの出で、お万阿という京で油屋
「奈良屋」の女将と知り合い油売りをするようになり、山崎の八幡宮に
出入りしていて大道芸人のごとく永楽銭一文の四角い穴に油を通すという
パフォーマンスをやって人気を博し商売繁盛させたことは有名。境内で見つけた手洗い場の龍、有名な作家の手によるものらしい。
背中に仏教飾り(名知らず)を背負った龍は珍しく高貴なものらしい。
離宮八幡宮と背中合わせになる位置にてんぷらの「三笑亭」がある。
「三笑亭」は神宮ゆかりのてんぷら料理を食わせる料亭であり、司馬遼太郎
「国盗り物語」が大河ドラマとしてテレビ化されたときは何度となく紹介されている。
また、辻元清美議員のポスターがあちらこちらで目につく、地元ならでは。このあたりの西国街道には古い屋敷がところどころに残っている。
屋敷が少し街道と平行ではなく、表に三角のスペース土下座場も
見られた。参勤交代をする大名が通過するときに利用された。
駅前に戻ると「妙喜庵」がある。妙喜庵は連歌師の山崎宗鑑が
隠居所として建立したと伝えられている。中には国指定文化財の
「待庵」がある。待庵は千利休が山崎の合戦(1592)以後に建立
した草庵風茶室の代表的なものが残っている。(見学は要予約)
まだまだ周辺には見所がいっぱいありました。
駅のすぐ北側の山に「
大山崎山荘美術館」があります。
大正から昭和初期にかけて
加賀正太郎によって建築された
「大山崎山荘」として、NHKで放送された直後だから多くの
人で賑わっていました。
追加、ウイスキーのふるさと「
サントリー山崎蒸溜所」
工場見学ができます。(予約:2名から受付)
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