2009年5月11日月曜日
母のひとこと〈A word of my mother〉
左は3番目の弟、お母ちゃん、わたし。三人が着ているものすべて母親の手作りだった。
わたしは4人兄弟の長男。(実際は兄が生まれており、2才を前にして
わたしが生まれる直前に病死) 下に弟ふたり、一番下に妹がいる。
3番目の弟の名は「満也」。 実質男ばかりが4人目だったので、
もう満員なり。 男の子はもう要らない、もう打ち止めと言う由来の
名前をもらっている。 しかし、それから2年後に最後の子どもができた。
待望の女の子だった。 それが一番下の妹。
おやじと母親の結婚への面白いエピソードがあるのだが「母の日」に
ちなんで「母のひとこと」を想い出してひとり嚙みしめている。
おやじは母親との結婚以前から数えて20数回仕事を変えている。
結婚して子どもができて後、やっと自分の兄貴の紹介で大手の鉄鋼会社
に就職し落ち着いた。 子どもの頃からおやじを見ていると、随分酒飲み
であった。 4人の子どもがいながら、多いときには一晩で一升瓶が空に
なるほど 飲んでいた。酒代がかさみ家計がなりたたないほどだった。
余談であるが、酒に酔うといつも母親と口論になるならまだしも暴力に
出ることが多かった。高校時代は柔道をはじめていたわたしは、すぐに
初段の腕前になっていた。おやじの暴力が始まると、弟や妹が怖くて
悲しくてすぐに泣きはじめた。
喧嘩がはじまると、いつも「止めてほしい」と言うだけで言葉が見つか
らなかったが二人の間に入って仲裁をしていた。その時、いつもおやじの
腕を取り関節を固めて落ち着くまで動けなくしていた。
夫婦の危機を何度となく救っていたのかもしれない。社会人になり結婚して
子供が出来て「おやじ」のことを考えた時に、あの深酒の日々や暴力を
奮っていたことなど一人の男として少しは解るようになってはいたが…。
わたしが中学生になる頃には、子どもたちも皆大きくなり成長に合わせ
家族で食べる米も相当な量になっていた。最盛期には夜に炊いた一升の
ごはんが一夜でおひつが空っぽになるほど食べた。
エンゲル係数の非常に高い状態だった。従って家計は苦しかった。
家計の苦しい部分を母親は、着物の仕立てや洋裁で収入を得て家計を
支えていた。それでもずいぶん苦しいことは子どもながら察していた。
わたしが中学2年のある夜、母親が「けんじろう 話があるんや」と
言った。「あんたは お兄ちゃんだから しっかり勉強してもらわんと
困る お母ちゃんは」「兄弟の見本になってくれんと…」とだけ言った。
高校進学のことである。私学にはよう行かせてあげないかもしれないので
絶対に公立の学校に受かってほしいと言うのであった。
当時、わたしは小学の5年生の時から「ハト」を飼っていた。
日々の様子を見て母親は不安だったのかもしれない。もっと勉強をして、
お金のかからない学校に行ってくれと言った。
こんなこともあった、担任の先生から家に電話があり○日に学校に来て
ほしいと要請があった。母親ははじめて先生から呼ばれたことでもあり、
良いことで呼ばれたものと勘違いした。近所の人たちに先生に呼ばれたと
自慢話をしていた。当日、いそいそとお洒落して学校に行った母親の落胆
ぶりは可愛そうを通り超していた。真相は「欠点」であった。
家に帰ってきて開口一番「ええことかと思ってたのに えらい恥をかいた」
言いながら大笑いしていた。お咎めは無かった。
ハトを飼っている人間の朝は早い。6時に放鳩をして飛翔訓練をする。
夕方にも訓練やら餌をやったりして忙しい。そしてハトを放っている時は
いつも空を見上げている、近所でも「ハト兄ちゃん」と言われた。
いつもいつも、空ばかり見上げている子。わたしのことである。いつ勉強
してるんやろ、勉強なんて全然してないのと違うか。母親はそのことを気に
していたらしい。勉強してないのに公立の学校などに行ける訳がないと…。
「あんたは お兄ちゃんだから しっかり勉強して 兄弟の見本に…」
母親からのこの言葉が胸に突き刺さった。その夜から猛烈な受験勉強が
始まった。つき合ってくれなくても良いのに、母親は傍らでいつも裁縫を
しながら遅くまで起きていた。
受験には見事合格するのだが、高校に入ると「柔道部」「ハト兄ちゃん」
「バイク」と忙しくも楽しくて悲しくて辛い青春時代に突入して行った。
そんな母親も5年前に他界した。「母の日」に際して一年に一度は、
いろいろ想い出してみることにしょう。3年前には兄弟たちのために
「想い出アルバム」を編集した。90%仕上がっているところで小休止。
中で自分の視点からお母ちゃんのことをいろいろ書いた、楽しかった。
◎お母ちゃんは○○小町 ◎お母ちゃんは屁こき などなど
いま、ここにわたしが元気にいるのも母親のおかげだと思っている
5月10日 Mother's Day「お母ちゃんありがとう!」
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12 件のコメント:
心温まるお話ありがとう。
そうですね。感謝しなければ。
kenさん
とてもおきれいなお母様ですわね。
子どもの服が手作りってすごいですよね。
うちの母は編み物は出来ましたが、針を持つのは見た事がなかったような・・・(*^_^*)
私も5月は母の日、そのあと、母の命日と、ずっと母を想う月です。
4月5月になると、夢を見る回数が増えて、主人がお墓参りに連れて行ってくれました。
でも、これからだんだん四国までのお墓参りはきついかもですわ。
綺麗で素敵なお母さまですね。
kenさんはいつも空を見上げていたから、ワンちゃんの名前が「空ちゃん」になったのかな?
母は今度の6月で70歳の誕生日を迎えます。兄弟たちは母に内証で誕生会を企画しています。いつまでも元気でいてほしいです。
はやひでさん◆
いっぱい感謝してさしあげてください。誰もみな、年には勝てないですからね。親孝行するのは、今だけですよ。
ひまなさん◆
なんでも作れるなかなか器用な「お母ちゃん」でした。和装も洋装もできました。4台もあったミシン、形見に一台もらっておいたら良かったと後悔してます。やはり、このまえの写真は四国でしたか。遠いと大変ですが、行けるうちは意ってげたいですね。でも、気持ちは伝わると思われたら良いかもです。
秋桜さん◆
うちの空は1歳を前にして、飼えない環境のお家から我が家にやって来ました。なので、最初から名前はつけられていました。お母様、長生きしてほしいですね。機会ある度に、顔を見せてあげるだけでも幸せだと思いますよ。
小生もオヤジが酒飲みで、酒を飲んでオカンに絡んで喧嘩したり、お膳がひっくり返ったりともう悲しい位荒れるオヤジを見て来ました。
オヤジはリウマチで足が悪く入退院を繰り返していたので、当時は多分不甲斐無さやら病気のことやら色々とストレスがたまってたのかと思います、家も貧乏だったので働きながら学べる定時制高校に進学し今に至ってます。
今はオヤジと酒を酌み交わしオヤジの苦労話を聞いて、当時の心境がわかったのでもう怒りなど無いのですが高校時代は恨みましたよ。
今では良い思い出になりましたが(^^)
あっ、もうオトンとオカンは仲良しですよ。
さすがにええ歳ですからね。
けんさん◆
おやじさん、お元気なんですね。親子で酒を酌みかわせられるなんて幸せです。お酒はほどほどにしてもらって長生きしてもらってください。けんさんも良いお酒にしてくださいね。グジグジは無し。
もちろん!
お酒は楽しく飲まないと(^^)/
楽しい飲み会が一番!!
自慢のお母さんですね^^
私の母親は、私が小学1年生の時に亡くなったので思い出がキレギレで(^^;
思い出すのはいつも働いていて寝てるのを見た事がなかったですね。。
生きていてほしかったといつも思います~
今 親で生きてるのは主人の父だけなので、大事にしなければと思いつつ・・です(^^;
アラッ(><)
匿名さんになってしまいました(^^;
すみませんでした。
yuzumama さん◆
うちのお母ちゃんも、仕事(仕立ての内職)ばかりしてました。夜なべもしょっちゅうで、すごい頑張り屋さん。子供が言うことを聞かないと、裁縫の竹尺でバシバシビシビシ叩く鉄拳制裁の怖い人でした。真っ直ぐな生き方をしなさいと教えてくれていたと思っています。
幸いにもお父様が健在なのはうれしいですね。喜んでもらいましょう。
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